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オペラ対訳プロジェクト映写室


共通テーマ:日記・雑感

Nara Leão - Manha Do Carnaval(カーニバルの朝)

Nara Leãoが歌う Manha Do Carnavalです。
映画「黒いオルフェ」の主題歌として知られています。 昔Nara Leãoのマンションには、若手音楽家が入り浸り、演奏をし、議論を交わし、コパカバ­ーナのマンションは音楽家のサロンと化していました。 集まった演奏家には、若きアントニオカルロスジョビンジョアンジルベルト ヴィニシウス・ジ・モライスがいて、彼らによりBossanovaの誕生が決定付けら­れました。



http://www.youtube.com/watch?v=A7x-4aCgO8k&feature=player_embedded#!



http://www.youtube.com/watch?v=g8tyya8HPQc&feature=player_embedded

MANHA DE CARNAVAL | Luiz Bonfá- Antonio Maria

Manhã tão bonita Manhã
Na vida uma nova canção
Cantando só teus olhos teu riso e tuas mãos
Pois há de haver um dia em que veras

Das cordas do meu violão
que só teu amor procurou
Vem uma voz falar dos beijos perdidos nos lóbios teus

Canta o meu coração alegria voltou,tão feliz a manhã desde amor

朝よ、こんなにも美しい朝よ

この世に新しい歌が生まれる

あなたの瞳を、その微笑みを

その手を歌うためだけの歌が


そして、新しい日の光が訪れ

あなたと出会う一日が始まる


あなたの愛を探そうと爪弾く

僕のギターの調べのなかから

口づけを語る言葉が聞こえて

あなたの唇へと消えるだろう


僕の心は歌う、甦った喜びを

この愛に包まれた至福の朝を





英詩は1963年にジョージ・デヴィッド・ワイスが「カーニヴァル」の題で書きペリー・コモが歌ったバージョンと、1966年カール・シグマンが「A Day in the Life of a Fool」の題で書き直しフランク・シナトラが歌った「ダメ男」のバージョンがある。

1962: Big Band Bossa Nova/ Stan Getz
国内盤の標題は「黒いオルフェ」となっており、そうした方が売れるだろうと言う事か。Jim Hallのギターのイントロがあり、流れるようにGetzがテーマを提示すると、Gary McFarland編曲指揮のオケが雰囲気を盛り上げる
1962: Wayning Moments/ Wayne Shorter
2管クインテット。確か国内発売は「黒いオルフェ」という題で出たはずの初期盤。気鋭の若者のジャズ、という感じ。
1963: Scandia Skies/ Kenny Dorham
ダブルトランペット・クインテット。例によって訥々とした吹奏ですが、「おっさん、飯食ったんかょ。」と悪口など叩かずに、この人の丁寧な吹奏とペーソスを味わってください。
1963: The Body and Soul/ Freddie Hubbard
脂の乗り切った時期のFreddie Hubbardのトランペットの吹奏とペーソスが、Wayne Shorter、Eric Dolphy 、Curtis Fuller、Cedar Waltonのサポートを得て、味わえる。
1963: Take Ten/ Paul Desmond
この人独特のマネの出来ない滑らかなアルトによる黒いオルフェに、ギターなどが綺麗にまとわりついて聞きものです。特にギターのアドリブの後半に実に巧いオクターブ奏法による泣かせフレーズの挿入があります。
1964: Second to None/ Carmen McRae
これが決定盤の歌詞かどうかは知らないが、歌詞と歌唱の両輪が噛み合った名唱。「貴方と過ごしたあの目くるめく幸せの夜が明けて、恋は破れた。あの日々はどこへ行ってしまったの」という歌詞で、「Where Did It Go」という曲名まで付けている。おセンチと言わずに、恋する女の切ない想いに耳を傾けてみてください。この余り知られていない隠れ名盤を再発したソニーは偉い。
1964: Cast Your Fate to the Wind/ Guaraldi, Vince
標題曲は発売と共に全米の大ヒットとなったらしいが、ここでは静か目の黒いオルフェに耳を傾けると、いつもハッピー一点張りなピアノではなく、落ち着いて弾いていて好感が持てる。
1964: Softly, the Brazilian Sound/ Joanie Sommers with Laurindo Almeida
ここでの黒いオルフェはソマーズの柔らかい声にアルメイダのギターが絡んで、実に気持ち良くなる、のは古い世代の特権か。歌詞はソマーズの作という。
1964: Guitar from Ipanema/ Laurindo Almeida
まぁ、本職といって良いギタリストによるヴァージョンです。
1965: Getting around/ Dexter Gordon
これもなんとも親しみやすい、この曲の名演。脇で調子良くサポートしているヴァイブがボビハチなんだ、と気付くのに手間取るほどおとなしく叩いており、それは例の「Idle Moments/ Grant Green」と同趣向。
1966: I'm All Smiles/ Hampton Hawes
ピアノトリオ。この盤は「黒いオルフェ」が素晴らしいし、また「いそしぎ」も良いので愛聴盤です。この黒いオルフェの導入の持っていき方は、正にジャズだなぁ、という巧さです。
1966: Soul Espanol/ Oscar Peterson
ピアノトリオ。この盤はラテンもので固めた選曲ですが、そのなかでもこの「黒いオルフェ」は良い調子です。
1966: In Paris/ Stan Getz
テナー・カルテット。短い演奏ですが、なかなかのものです。
1966: Tristeza on Guitar/ Baden Powell
ギター。作曲者のLouiz Bonfaと同じギターを用いた偉人Baden Powellの印象深い名盤の中でも光る「黒いオルフェ」。
1966: Jazz para Sambar/ Tete Montoliu
テテのピアノトリオものの中にもありましたねぇ。
1975: The Three/ Joe Sample
The Threeというピアノトリオで聞かせるメリハリの利いた黒いオルフェ。
1975: Trip to the Orient/ Ronnie Mathews
Ronnie Mathewsとしては、恐らく珍しいエレピによるオルフェです。
1975: The Paul Desmond Quartet Live
DBQ退団後のPaul Desmond Quartetによる心地よいジャズ。
1976: The Summer Knows/ Art Farmer
フリューゲルのワンホーン。名曲「想いでの夏」に続く2曲目が「黒いオルフェ」で、ボサノヴァで入って来て、アドリブは4ビートになる、実に流れるような演奏。
1976: Black Orpheus/ Isao Suzuki
ピアノトリオ。鈴木オマさんがチェロとベースとを、Overdubbingも含めて、熱っぽいアルコ弾きとピチカートで聞かせる「黒いオルフェ」は、エレピの山本剛が絶好調だったこともあって、「へぇ、日本のジャズもここまで来てるんだ。」と感動した記憶がある。
1977: As Good as It Gets/ Ray Brown
現在はThe Duo Sessionとしてもう一枚と組み合わせて出された合冊盤。ドラムレスで聴く黒いオルフェも中々のもの。
1977: First Live in Japan/ Art Pepper
カル・ジェィダーの来日公演にゲストとした参加したときの、いわゆる「感激の初来日ライブ」。黒いオルフェはアンコール曲で、期待以上の観客の声援に応える良い演奏になっている。
1978.07: Galaxy All Stars Live under the Sky '78
ピアノトリオ。田園コロシアム公演でナベサダと一緒に出演した時の演奏で、面白いことに、メンバーは真性GJTなのに、その名前は使っていない。
1979: Live at the Concord Jazz Festival 1979/ Ray Brown
ピアノトリオ。ジャズ祭でのライブだから、兎に角ノリは抜群。選曲もいいし、その中でも、ラテンの血が濃いモンティが光る黒いオルフェは脱帽もの。
1979: 3 Live Concerts/ 小西 徹
ギタートリオ。名手小西さんの、実によく歌う黒いオルフェです。
1980: 4 X 4/ McCoy Tyner
ピアノトリオにゲストを迎えて、4通りのカルテットでそれぞれの演奏を聞かせるというセッティングの盤で、Freddie HubbardのFlugelhornが入った黒いオルフェが演奏される。
1980: Memories of Summertime/ Yoku Tamura
田村さんの徳之島ライブが、30年近く経ってから奇跡的にCD化されたので、世に出た演奏です。
1982.06: Imo Live/ Kenny Barron
Barronらしい黒いオルフェで、これは絶対に聴きものです。
Songs on My Mind/ Masaru Imada
1988: Great Standards, Vol.2/ Great Jazz Trio
Hank JonesのGJTが沢山出したスタンダード曲集の一枚にも、黒いオルフェがある。
1988: Standards/ Claude Williamson
余り聴かないピアノソロでの黒いオルフェですが、流石に味がある。
1989: Black Orfeus/ Ray Brown
キングが89及び91年に東京のクラブでライブ録音したものの選りすぐり盤にも黒いオルフェがあって、これも聴きもの。
1989: It's Standard Time, Vol. 1/ Charlie Mariano
マリアーノがテテと録音した2枚組みの一枚目にもありました。
1989: French Story/ Barney Wilen
Barney Wilen とMal Waldronが共演した盤にも黒いオルフェがあって、これも聴きもの。
1989: Topsy/ Freddie Hubbard
1991: Just Feelin'/ McCoy Tyner
上記カルテット版と違って、これはピアノトリオ版。アナログの棚からやっと探し出した。
1991: Brasil Project/ Thielemans, Toots
ブラジルの人ばかりとやったトゥートのボサノヴァ曲集で、作曲のボンファの生ギターが入っているのが目に付く。
1994: 灯(あかり)/ New York Unit
中村達也のNew York Unitも元気で、Hannibalも、Richard Davisも、Hicksも曲の良さを巧く展開しており、中村さんの製作意図がしっかりしている事に感心した。
1995: Skylark/ George Cables
Cablesもこの曲が好きなのか、Dexter Gordonとやった盤にもあったはず。ここではピアノトリオで聞かせる。
1995: Brazilian Rhapsody/ Lee Konitz
Konitzがブラジル音楽に挑戦したこの盤でも、黒いオルフェは聴きものです。
1996: The Guitar Trio: Paco de Lucia/ Al Dimeola/ John McLaughlin
生ギターで聴くオルフェもまた格別。
1998: Feeling's Back/ Mangione, Chuck
この人のフリューゲルホーンも中々のもので、黒いオルフェも柔らかく曲の良さを引き出している。
1998: All Night Long/ Dylan Cramer (4:43)
(Alto Quartet) じっくりと歌い上げていて、好感が持てます。あまりアルトの高音域を使わない人のようです
1999: Orfeu/ Ron Carter
ベースのロン・カーターがブラジルものに挑戦した盤でも、黒いオルフェは見落とせません。かなりゆったり目のテンポで、Houston PersonやBill Frsellの聞かせどころもあって満足。
2001: Manha de Carnaval/ Norman Simmons
この人のきれいなピアノで聴くこの曲も嬉しい演奏です。
2001: Kiss of Fire/ Harold Mabern
ピアノトリオ




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自分史・日記療法

自分史を作る
うつ病でもパニック障害でもいいですが、
自分史を一度まとめてみたらどうかと思います。
細かすぎる必要はありません。

まず、ざっと年表を作って、自分や家族に何が起こったかを記入します。
そしてそしてぞれのトピックスを考えます。
地震があったとき、おじいちゃんが死んだとき、何を考えたかというように、「その頃」を思い出すタイプ。
「祖父とわたしと将棋」や「母の庭いじり」などというようにある程度の年月にわたるテーマ。
生々しい人間関係になりますが、「父と母」とか「祖母と母」などでもいいと思います。
高校時代に部活動をしたらそのことをまとめてもいいですし、
初恋から最近の恋まで、恋をテーマにしてもいいでしょう。
仕事の経験から何を学んだかもいいテーマとなります。

これらのことを「自己分析」する必要はありません。
自己分析しようとすれば、自分の分析の結果に都合のいい題材を選んでしまうものです。
そうではなく、
ここでは、ただ思い出して、記録しておくというだけでいいことにしましょう。
それだけで充分に心は癒されるものなのです。

日々のことならば日記療法になります。

日記を書くことがなぜ心の治療になるのかといえば、
日記を書く人は少なくとも自分の生きた時間について客観的に考えて書くからです。

ただ怒る、思う、ということと、書くということとの間には、かなりのプロセスがあります。
そこを乗り越えなければ書けないのです。

だから書くことに意味があるのです。

共通テーマ:日記・雑感

知恩院と二条城

京都の本を見ていて
知恩院という名前が改めてありがたい

恩を知るというのだから大切なことだ

二条城では徳川将軍家の威光を示すためのいろいろな工夫が解説されている
しかし人間の威光は舞台装置で作られるものばかりでもないだろう
その人の放つオーラというものが実に濃厚にあるものだと思う

*****
森鴎外「高瀬舟」

多分江戸で白河樂翁侯が政柄(せいへい)を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院(ちおんゐん)の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。

入相(いりあひ)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。



共通テーマ:日記・雑感

抗うつ剤は元気の元とは少し違う

抗うつ剤というと
飲めば自動的に
元気が出てくる
ドリンク剤やカフェインのようなものとの
広い誤解があるのかもしれない

実際に飲んでみると分かるが
最初はどれも眠くなる
元気が出るどころではない
落ち着くことは確かだが

SSRI,SNRI,四環系、三環系、いずれも眠くなってぼーっとなる
昔の薬ほど眠くなる

中には逆に眠れなくなる人もいるというのでとても不思議なことだ
どのようなメカニズムであるかは確定的なことは分かっていない

同じ薬なのにだいたいの人は眠くなるのに中には目が覚めてしまう人もいるなんて
とても不思議なことだと思う
早期の躁転と考えてもいいのかもしれない
あるいは心理的効果と考えていい場合もあると思う

血圧の薬が降圧と昇圧と人によって違うなどとは思えないし
血糖の薬にしても人によって違う方向に効くなどとは考えにくい

薬を朝飲んだほうがいいという人もいて
寝る前に一度飲めばいいという人もいて
これも不思議なところだ

だから単純な効き目ではないことがわかる

単純な仮説で用が足りないことで有名な話では
単純にセロトニンを増やせば元気が出るのかというとそうでもないことがあげられる

セロトニンを増やしても
気持ちが落ち着くのは二週間後とか一ヵ月後とかになるので
多分セロトニンの濃度だけではないはずで
セロトニンレセプターの数の増減が関係しているのだろうといわれているが
これも確定的ではない

セロトニンの元になるものを食べただけで元気になるとかの人もいて
なんともコメントできない

セロトニンとはダイレクトに関係がないような抗うつ剤もあるので不思議なことになる

セロトニンのお隣さんのようなドーパミンにきく薬が
抗うつ剤として有効なことも昔から有名で
スルピリドとかレボメプロマジン、それから最近のドーパミン調整薬などは
どれも気分調整薬としての使用が一般に認められている

ドーパミンを介してセロトニンに効くという間接的なものなのか
ドーパミンそのもののことで効いているのか
いろいろに意見はある
スルピリドは生理周期に影響するので脳のそんな部分に効いていることが分かっている

ドーパミンとノルアドレナリンを調整する抗うつ剤もあるわけで
不思議なことだ

このように薬剤の効く場所が分散してくると
考え方も転換して
かなり大幅に飛躍すると
要するに休息を取ってもらう薬、無理をしなくなる薬でいいのじゃないかとの考えも出てくる

どういうことかといえば
たとえば、やたらに周囲に気を遣っている人が、
余計な気を遣わなくなることで、精神の疲労を防ぎ、
結局過労を防止できるとすれば、
それはそれで有効な薬になるだろう

マラソンをして、普段は40キロ走る人に
20キロだけで走るのをやめましょうということにすれば
筋肉痛は減るはずだろう

余計な疲労を減らして
必要な活動だけすることになれば
うつ病は減るのだと思うし、治療にもなると思う

夜によく眠れるようにするだけでもずいぶん違う

そんな考えでも、ひょっとしたらいいのかもしれない

その観点で薬を考えるのも方法だし
無理に元気を出す薬というイメージよりも
過労を防いで回復しやすくする薬と考えて
本質的な回復は体自体で考えてくれているのだと思えばいい

たとえば、擦り傷を一発で治す薬はなくて
だいたいは余計な炎症などを防いでいれば
自然に治るのを待つことになるのと似ているだろう

骨折も同じ
ある程度は時間をかけて待つしかない
待つ間に余計に骨がずれないようにしていれば有利だろう

アルコールのようなもので
脳の最上層部に軽い麻酔をかけて
その結果として一時的に忘れることはできる
しかし結局思い出すのでつらいし二日酔いもつらい
一晩で忘れられるストレスならばアルコールでもいいが
そうでもなければアルコールは不利な選択である

カフェインは一時的に興奮させて結局疲労物質を作り出してしまうので
もっと疲れるだろうと思う

能率のよい疲労回復を考えた方がいいのだが
そんなタイムマシンのようなものがあるわけではない

結局よく寝ることがまず第一だ

ところがうつの中でも
眠れなくなるうつと過剰に寝てしまううつとがあり、
ひとりの人の場合でも、時期によって不眠と過眠が入れ替わったりもするので簡単ではない

共通テーマ:日記・雑感

モラルハラスメント

モラルハラスメント について

              前書き

「モラルハラスメント」という言葉を知っていますか?
「性的な嫌がらせ」を「セクシュアルハラスメント」と呼ぶことは、
広く知られるようになりました。
それから考えると、「モラルハラスメント」は「精神的な嫌がらせ」と
なります。
しかし、「セクハラ」が単なる「嫌がらせ」などではないことは周知の事実で、
この「モラルハラスメント」も、「精神的暴力」や「精神的虐待」とも呼べる、
とてもひどい人権侵害なのです。
巧妙に人の心を傷つける「モラルハラスメント」。
この見えにくい暴力は、被害者を精神的に殺していきます。
ひどいときには、被害者を自殺に追いやることさえあるのです。

家庭や職場の中での人間関係に悩んだことは、誰にでもあるでしょう。
あなたは、親、パートナーや恋人教師、上司や同僚、友人などから、
精一杯しているのに認めてもらえなかったり、身に覚えがないのに、
ひどく責められたり無視されたりしたことはありませんか?
そのようなとき、あなたは、自分の努力がまだ足りないのではないかとか、
自分でも気づかないうちに相手を傷つけてしまったために
その人が怒っているのではないかと考え、もっと一生懸命に頑張ったり、
相手の説明を求めようとしたり、こちらの思いを伝えようとしたり、
相手との関係をよりよくするために、
いろいろな努力をしたりするかもしれません。

でも、もし相手が、この「モラルハラスメント」の加害者であった場合、
相手は、あなたのその罪悪感こそを利用し、
無視、皮肉、悪口などを繰り返し、あなたを追いつめていくのです。
しかし、その攻撃ひとつひとつは、
それほど問題だとも言えないようなことのため、
はっきりと攻撃を受けているとはわかりません。
また、たとえあなたが攻撃だと気づき、誰かに助けを求めたとしても、
まわりの人に理解してもらうことは難しいのです。
そして、もしそこであなたが反抗したり別れたりしようとすると、
相手はあからさまに憎しみをあらわにします。
そして、敵意をもった暴力が始まるのです。
あなたの側に責任を押しつける、言葉による暴力が…。

この「モラルハラスメント」は、最近急に出てきたものではなく、
以前からいたるところで行われていたはずです。
今まで、家庭や職場という閉じられた空間の中で行われるため
外部には見えにくく、たとえ外部に漏れたとしても、
もともと被害者の側に問題があるとされ、
教育や指導という名の下に行われることの多いこれらの暴力が、
人権侵害であり、虐待であると認識されてこなかったのです。
それはまさに、ドメスティックバイオレンスと同じ構図の中で
行われる暴力なのです。

わたしたちは、言葉や態度で精神的に人を傷つけていくやり方は
「モラルハラスメント」であり、
それは犯罪にも匹敵する人権侵害だということを、
広く社会に発信していきたいと思っています。
そのことによって、「モラルハラスメント」の被害を受けている人たちが、
自分の身に何が起こっているのかをはっきりと認識できるようになると
思いますし、そのことが、自分を責めることなく安全な場を選択するための
助けになればと考えます。
そのために、「モラルハラスメント」とはどういうものなのか、
どう対処すればいいのか、被害者の回復にとって有効なことは何か、
加害者の気づきと回復はあるのかなどについて、
考えていきたいと思っています。

ただ、この言葉が広まることによって、モラルハラスメントの加害者が、
「モラルハラスメントを受けた」と訴えることも考えられますし、
加害者でない人を、加害者だとまわりが追いつめてしまうことも考えられます。
加害者でない人が、自分のことを加害者ではないかと思い悩むことも
あるかもしれません
(本当の加害者は、そのように自分を振り返ったりはしませんが)。
それらのことに注意しつつ、それでもこの言葉が周知のものとなることで、
少しでも被害者の助けになればと思います。

 参考文献:『モラル・ハラスメント――人を傷つけずにはいられない』
       /マリー=フランス・イルゴイエンヌ著 高野優 訳/紀伊國屋書店

1.見えにくい

この「モラルハラスメント」で特徴的なことは、
それが精神的・心理的なことであるため、まわりに被害が見えにくく、
証拠を示すことが難しいということです。
そのため、他の人に説明してもなかなかわかってもらえません。

また、加害者は被害者のほうに問題があるとか、
自分こそが被害者であるなどの主張をします。

被害者は、まわりの人からも「あなたにも悪いところがある」と言われ、
加害者に抵抗することも、加害者から逃げることもできない状況に
追い込まれていきます。

ここでは、まず、この被害者にとって一番辛い、
「見えにくい」ということについて、説明してみたいと思います。

1.証拠がない
 1)証拠が残らない

この暴力は、家庭、学校、職場など、外部の人間の目に触れない、
密室性のあるところで行われます。
その閉じられた空間の中で、暴力は言葉や態度など
証拠が残らないものによって行われ、被害者の身体には表面上、
傷は残りません。
後で外部の人に証拠を見せたいと思っても、
暴力の手段も、暴力の痕跡も残っていないので、
わかってもらうのは非常に難しいのです。
たとえ身体症状に表れたとしても、
加害者の精神的暴力との因果関係を証明するのは難しく、
それどころか、「自己管理ができていない」、「あの人には子ども時代に
何かあったのよ」などと、新たな攻撃の材料を提供してしまうことにもなります。

また、このモラルハラスメントは、加害者からの直接の暴力だけではなく、
加害者の影響を受けた第三者からもふるわれます。
その場合、その第三者の暴力の証拠が残ったとしても、
加害者は第三者が自発的に行動しているように見せているため、
加害者自身の暴力の証拠は見つけられません。

 2)暴力だと思わない

ひとつひとつの暴力は、後で他の人に言葉で説明をしたところで、
暴力だと信じてもらえないことが多いのです。
被害者は、加害者がそれを承知していて、その範囲内で
暴力をふるっているのではないかと思うほどです。
たとえ、外部の人が見ている前でその暴力がふるわれたとしても、
被害者が暴力の証拠だと思うものが残っていたとしても、
それを見た人は暴力だとは気づきません。

しかし、加害者の言葉や態度の裏には、被害者に対する
人権侵害が隠されており、モラルハラスメントというメカニズムの中で
加害者によって浸食され、抵抗することも防ぐこともできない状態に
追い込まれた被害者だけが、その本当の意味を感じ取り、
傷ついていくのです。

2.外に対しての顔

加害者は外の人に向けてはいい顔をしています。
被害者というえじきを手元に確保しているのですから、
他の人にはいい人間としてふるまうことができるのです。
「まさかあの人が」という人が加害者である可能性が大きいということは、
よく言われるところです。

しかし、そのことが自分たちの身近で起こっているという認識が
まだあまりない今、社会的地位を獲得している人ほど、
カモフラージュしやすい現実があります。
加害者は権力を持っていることが多く、聖職と言われる人に
加害者がいることもあるのです。

3.カモフラージュ
 1)仲間を装う

加害者は、人の目があるときは虐待を悟らせないようにふるまいます。
対外的には仲のよいふりをし、仲間を装うのです。
もし虐待の途中で誰かが近づいてきたら、すぐやめることができ、
平穏を装います。
被害者の方も、他の人に説明してもわかってもらえるとも思えず、
また、本当のことを説明しようものなら、後でまたそれを理由に
暴力をふるわれることがわかっているので、従わざるを得ません。

 2)被害者を装う

加害者は対外的に、自分がいかに傷ついたか、被害者の面をつけて
出していきます。
「あの人は攻撃的だ」「あんなことを言うなんて」「私は傷ついた」
「こんなことをしたのよ」と、外に見せる行動では、あくまでも
自分は被害者であると主張するのです。
その前に自分が何をしたか、何を言ったかは問題にならず、
自分が被害者であると証明できるものは何でも、
ときには事実を歪曲してまでもまわりに主張していきます。
加害者は、被害者を装った加害者なのです。

 3)教育・指導という名のもとに

親や教師、上司など、立場が上の者から下の者に
モラルハラスメントが行われる場合、「教育」や「しつけ」「指導」
などという名のもとに行われることがあります。
「愛情」だとされる場合まであるのです。
それらの美名のもとに、モラルハラスメントの暴力性は
隠されてしまうのです。

4.秘密の強要

加害者は被害者に対し、秘密を守るよう強要します。
黙るよう圧力をかけるのです。
そのときも、はっきりとそう言葉にするわけではありません。
被害者の罪悪感や恥の感覚を利用し、また、
家族や会社のためであるとほのめかすことによって、
被害者自らが喋らないことを選んでいるかのように思わせるのです。

以上のように、加害者の暴力は何重にも覆い隠されます。
それは、まわりの人に対してだけではなく、被害者に向けても使われ、
そのために被害者自身、被害を受けているのかどうか自信がない
という状態が長く続きます。

次は、加害者が自分のしたことを合理化し、自分を正当化するための
メカニズム――被害者が反論し、自分を守ることを難しくするもの――
についてまとめます。

2.合理化

加害者は、どんな方法をとってでも、虐待の事実や権力の濫用を正当化し、
合理化します。
冷たく、固い感じで自信を持って言い放つ合理化の言葉は、たとえ被害者が、
「あの人の主張は、何かおかしい」と感じていても、反論する隙がないように
感じるほどで、第三者なら、ほとんどが納得させられてしまいます。
その基本的な考え方は、自分は絶対に正しいという思い込みであり、
したがって相手に問題があるということになります。

加害者自身、自分がしていることが暴力であり、虐待であるとは
思ってもいないのです。

1.自分は正しい

加害者は、自分は正しい、自分は全てわかっていると思っています。
自分の価値観が正しいということをまるで疑っていないのです。
自分を基準に考えると、自分の考え以外は認められず、
他人からの助言や示唆を拒否します。
あなたのしていることは虐待だと言われても「違う!」と主張します。

ときには、相手を「何か」から救ってやるためにしていることだと思い込み、
虐待よりもその「何か」の方が大変なことであると信じ切っていることも
あるのです。
その大変な「何か」から救ってやるのですから、加害者にとっては
「正しい」ことになります。

その場ではいつも、加害者がルールブックなのです。

2.相手に問題がある
 1)責任転嫁

加害者は被害者に問題があると主張します。
暴力行為が、被害者の問題として正当化されるのです。
加害者の会話のパターンは、「あなたは…」「おまえが…」であり、
「俺を怒らせるおまえが悪い!」と、被害者の側に責任を押しつけます。
もし、被害者が暴力を受けたとまわりに話し始めると、
その人の性格、能力などの問題点を(たとえ作ってでも)訴え、
その人の話には信憑性がないと主張するのです。

 2)指導、教育

加害者は、自分の考えは正しいと信じているので、自分がしていることは
暴力ではない、指導、教育だと思っていることもあります。
そうして暴力は、指導、教育という名、つまり、いたらない相手のために
愛情のある自分が指導、教育してやっているという意識で行われ、
実際は相手を支配するのです。

その上、加害者は、被害者自身にも愛情からのことだと認めるよう強制し、
自分がしていることは正しいことだと認めさせようと躍起になります。

この関係は、親子に限らず、夫婦、恋人、職場での上司と部下、
いろいろな場所での先輩と後輩などの間でも起こり得ます。

3.虐待の否認

加害者は、されることには敏感で、自分の苦しさは強く訴えますが、
その割には自分がする事には鈍感で、虐待をしているという認識が
ありません。
感覚が麻痺しているように、自分の行為に伴う受け手の苦痛には
鈍感なのです。
今起こっている問題を認識せず、虐待をしているという自覚がありません。
虐待しているときの自分自身の葛藤や罪悪感は、意識化されず、
被害者が「つらい」「きつい」と言っても、自分が原因だとは思いません。
たとえ虐待だと本人に伝えても、思い当たらないと言います。
自分の行為の原因と結果がわかっていないのです。

また、加害者は、自分自身の衝動的な暴力行為を、あまり記憶していない
ことさえあります。

4.抑圧し、抹殺したい部分

実は、加害者が暴力を合理化するために被害者に対して指摘することは、
加害者自身にも当てはまることが多いのです。

加害者は、被害者に問題があると主張しますが、実はその問題の部分は
自分自身の中にも見られます。
自分がその問題の部分のような考え方をするからこそ、相手の行動が
そのような意味にとれるのです。

加害者は、自分の中にあってはならないと思い込み、抑圧しているある側面を
他の誰かの中に見つけると、その人を抑圧します。
自分の中のその部分を見るのに耐えられないため、相手にそれを投影し、
相手の問題として論じていく。
または、自分はきつい思いをして抑圧しているのに、それを平気で出している
相手に対して腹が立ち、そのような相手のあり方自体を問題にする。
いずれにしても、相手の問題として合理化していくのです。

そのようにして、加害者は自分を見つめることなく、生きのびていきます。
まるで自分の力を、他者を抑圧するためか、自分を抑圧するためにしか
使えないかのようです。

また、加害者は、相手の中に自分のありようを脅かすと感じるような
危険なものを認知した場合、それを抹殺しようとします。
そのために、相手のその側面こそが問題の部分だと訴え、
暴力を合理化して相手を抹殺するのです。

加害者の精神的暴力は加害者自身によって合理化され、
被害者はひとり、卑劣で理不尽なモラル・ハラスメントのアリ地獄へと
追いつめられていきます。

次は、そのモラルハラスメントの「卑劣さ・理不尽さ」について
まとめます。          

3.卑劣さ・理不尽さ

モラルハラスメントでは暴力自体が見えにくく、その上、
加害者によって暴力ではないと合理化されてしまうことの他にも、
理不尽なことがたくさんあります。

加害者は、相手をおとしめ、弱点をつき、何かをほのめかすだけで
問題点をぼかし、あてつけ、人を使って間接的に攻撃をし、雰囲気で威圧し、
恐怖感を利用してのコントロールをいつまでも続けます。
この策略的で卑劣な方法によって、被害者は一方的に、
いわれのない責めを引き受けさせられるのです。

1.相手の人格を認めない

加害者は、他の人のことをひとりの人格として対等に見ることができません。
自分の意のままに操れる生きた対象を所有したいという欲求があるかのように、
他の人を自分の所有物と見なし、思い通りに扱うのです。
人間としての対等な関係ではなく、自分にとって都合のいいように使える
駒かどうかということが、その人とつながっている理由になります。
相手の感じ方や考え方を認めず、相手の苦しみや屈辱感を完全に無視し、
無理やり同意させ服従させるのです。

モラルハラスメントという虐待の場では、人格の尊重がなく、
人間性の剥奪が行われています。
被害者は、人権侵害の被害者なのです。

2.卑劣な攻撃方法
 1)おとしめる

モラルハラスメントの加害者は、暴力に先立ってまず、相手の価値を
おとしめようとします。
相手の弱点をつき、愚か者よばわりし、それをまわりの人に繰り返し
言っていくことで次第に浸透させ、それ以後の暴力をしやすくします。
また、暴力の間も非難し続け、相手の気持ちをくじき、大事にしている
価値観を踏みにじります。
そのようにして加害者は、他人を否定することで自分を肯定するのです。

 2)はっきりしない問題点

加害者は、相手の問題点を指摘しているように見えますが、実は、
相手にわかるように直接コミュニケーションを取って具体的に
提示するわけではありません。

  ① ほのめかす

加害者は、はっきりとした言葉ではなく、雰囲気や態度によって
「私はあなたを認めていない」というメッセージをほのめかします。
深いため息、軽蔑したまなざし、硬い表情、力の入った肩、視線をそらす、
無視をする、どうとでもとれる言い方などで、少しずつ、でも確実に
相手を傷つけていくのです。

  ② 問題点をぼかす

加害者は、被害者が悪いとほのめかしますが、どこがどんなふうに
悪いと思っているのかをはっきりと伝えることはありません。
問題点や対立点がはっきりすれば、解決へ向けて何かをするということも
あり得ますが、ぼかされているために被害者にはどうすることもできません。
加害者にとって重要なことは、問題を解決するということではなく、相手を責め
自分が優位に立つことなので、この方法はとても都合がいいのです。
こうして、とにかく被害者が悪いということだけが残るのです。

  ③ 話をそらす

あいまいな言い方でぼかされたとき、被害者は、その言葉の意味や
問題点をはっきりとさせるために、具体的に尋ねることがあります。
しかし、そのようなときでも加害者は、「そういうことを言っているのではない」と
否定はしても、何を言いたいのかという具体的なことは言わず、
相手の話の中のひとつの言葉を取り上げて、その言葉がどんなに問題かを
攻撃し、巧みに話をそらしていくのです。

  ④ コミュニケーションの拒否

直接的なコミュニケーションは、加害者によって拒否され続け、
話し合いで解決する望みは絶たれます。
被害者は、相手が怒っているということだけしかわからず、その中で
相手が何を考えているのかを探ろうとし、混乱し、不安になります。
もし被害者が加害者と離れたいと思っても、離れるということさえ
話し合えません。
もうどうすることもできなくなるのです。

 3)人を使っての間接的な攻撃

加害者は自分は直接攻撃を仕掛けず、まわりの人を操って
攻撃をさせることもあります。
加害者は周りの人に、被害者にはどんなに問題があるかを一方的に伝え、
「私のこの気持ち、わかるでしょう?」などと言葉巧みに味方につけていき、
しだいに支配し、「あなたのため」だと言って、その人が望んでもいない
モラルハラスメントをさせるのです。

 4)威圧によるコントロール

加害者は自分が正しいと思っているうえ、それをわからせてやるのが
当然だという考えなので、「叩き込んでやる」という意識で人の心の中に
土足で入り込みます。
決して身体的な暴力はふるわないのですが、その雰囲気や態度は
威嚇的で横暴であり、それによって相手を威圧し恐怖感を持たせます。
そうして被害者の行動を制限し、心を縛り、動けなくさせるのです。
加害者にとっては、これは人を操るゲームであるかのようです。

いったんそのような状態になると、加害者は同じ体勢を取るだけで
コントロールをきかせることができるようになります。
PTSDになるような状態を故意に作り出すことで、小さな刺激でも
大きな影響を与え非常に有効なのです。
そのような方法で、加害者は被害者に自分の期待通りの行動を
とらせようとします。
ですから、加害者の気持ちに添うと態度が一変します。
被害者が加害者の思い通りの人間になるまで、虐待は終わりません。

3.終わらない

 1)継続できる

この暴力は、言葉や態度による精神的なもののため、特別の準備などいらず、
いつでもどこでも始めることができます。
また、虐待し続けたとしても加害者には精神的にも体力的にもダメージが
ほとんどなく、長時間でも疲れずに続けることができるため、
暴力は長期にわたり、執拗に繰り返されます。
傷が残らず血も流れず、見た目に変化が出にくいので、繰り返しが可能で
セーブがきかず、死亡という形で終結しないため永遠に続くのです。
加害者は被害者のダメージを見届けるために、確認ができるまで
しつこく暴力を続けます。

これは加害者にとっての居心地のいいシステムであり、長期に継続し
アディクション化するのです。

 2)えじきの確保

加害者は、誰かを虐待していないと自分を保つことができません。
ですから、虐待できる相手を常に持っておくようにしているのです。
また、加害者は、第三者を虐待することで見せしめをします。
まわりの人は、虐待現場を身近に見ることで恐怖感や無力感を味わいます。
また、離れていった人のことをひどくなじるので、
逃げたら自分もこう言われると思うと、逃げることが難しくなります。
そのうえ加害者は、我慢をすることや耐えることをよいこととし、
それを被害者に押しつけます。
また、逃げることを卑怯だと決めつけるため、被害者は罪悪感を刺激され、
逃げることさえできなくなるのです。

このようにして被害者を追いつめていく加害者。
では、その加害者とは、どんな人たちなのでしょう。
何か共通点はあるのでしょうか。

4.加害者とは

被害者の話を総合してみると、加害者には同じようなパターンがあることに
気づきます。

1.勝ち負け

 1)思い込みによるこだわり

モラルハラスメントの加害者は、自分の勝ちか負けかをいつも考えています。
勝つことに強迫的にこだわり、まわりの人間には敵か味方かのどちらかしか
いないというような極端な考え方をします。
対人関係を力関係でしか捉えることができない加害者は、
その相手との力関係によって態度を変えます。

味方にしておきたい人が自分より上か同等の力をもつと思っている場合、
親密さを相手にもまわりにもアピールします。しかし、相手が下だと思うと抑圧し、
いいように使います。
このように、味方といっても対等な友人という捉え方ではありませんが、
何らかの形で自分にとって役に立つ人間だと思えている間は、
敵に回さないよう気を遣いながら接しているのです。

しかし加害者は、ほんの少しの批判や拒絶を、自分に対する反抗や
敵意の表れだと受け取ります。
はっきりと完全な味方にならない限り、敵だというレッテルを貼り、
何としてでも抑圧し、排除しようとするのです。
敵とみなした人が自分より立場が下だと簡単に抑圧し、同じくらいの力や
もっと力があるかもしれないと思うと、まずまわりに悪口を言うなど、
相手を引きずりおろしてから抑圧します。

いずれにしても加害者は、虐待の構図を取ることでしか自分を守れないと
思っているようです。
また、自分は自分にふさわしいだけの正当な評価を充分には受け取っていないと
思っているため、勝つことへのこだわりは、なおいっそう強迫的になります。

 2)言葉は武器

加害者は最初のうちは、敵とみなした人間に直接何かを言うことは
ほとんどありませんし、相手が何かを訊いたとしても、会話は成立しません。
しかし、加害者が何も話さないわけではなく、話すのが苦手なわけでも
ないのです。
それどころか、むしろ、論争が好きなのではないかと思えるほどの
雰囲気を持って言葉を使います。
しかし、その話は自己完結的であり、その言葉は、相手とのコミュニケーションの
ためのものではなく、勝つための武器なのです。

 3)一貫性がない

加害者は、情緒不安定で不安が強く、他人に対して攻撃的です。
そのときの気分や感情によって気に入らないことが変化し、
言動に一貫性がありません。
まわりの人間は、加害者の思考パターンにはひとつのルールはなく、
予測がつかないように感じます。
しかし被害者は、その予測がつかないルールを加害者から強制されるのです。

自主的に動けと言ったかと思うと勝手にするなと言い、
きちんと謝れと言ったかと思うと、すぐ謝った場合にはすぐに謝るなと言います。
被害者が黙って聞いているとその姿勢を突き、反論するとまた
その姿勢を突くのです。
また、被害者が毅然とした態度でいると加害者は怒り出しますが、
硬直し萎縮していても加害者のイライラは増長されます。
その使い分けには一貫した理論などはありません。
加害者が相手を敵だとみなせば、何をしてもしなくても、攻撃の対象に
なってしまうのです。
加害者の言葉に一定の傾向があるとすれば、その言葉が、
加害者が勝つためのものであるということだけのようです。

 4)支配

加害者は、力のある者に対して迎合する反面、弱い者や敵とみなした者に
対しては支配的、威圧的な態度をとります。
自分の勝ちを安定させるための権力に固執し、その権力によってまわりを支配して
自分と同一化させるのです。
そうしておけば、相手から自分の考えを否定されたり批判されたりして、
自尊心を傷つけられることはありません。
それどころか、必ず自分の意見に同意してもらえるため、有能感を
感じられるのです。
また、支配しておけば相手は逃げません。
ストレス解消のためのうっぷん晴らしの対象を確保しておくためにも、
まわりの人を支配しておく必要があるのです。

2.自己愛的

 1)自分は特別

加害者は自分が特別な存在なのだと思っています。
たとえ実際の業績をあげていなくても、自分には特別な才能があり
仕事ができると思っていますし、まわりの人も当然そう認めるはずだと
思っています。
そのため、自分のために誰もが喜んでいろいろなことをしてくれるべきだと
思っていますし、自分のために他人を平気で利用できます。

また、自分を偉く見せるためにすべてを知っているかのように振る舞い、
そのために言葉を利用します。
たとえば、難しい専門用語を使ったり、抽象的な表現をする、
話を一般化し真実を話しているような言い方をする、誰かを軽蔑し悪口を言う、
相手の考えや行動の意味を勝手に決めつけるなどの方法を使います。
また、質問されても答えは言わない、途中まで言いかけてやめる、
自分についてはあまり話さないなどの方法で相手の興味を引き、
魅力的に見せ、特別な人だと想像させるような振る舞いもします。

 2)自分を守る

モラルハラスメントの加害者は、起きたことの責任をすべてまわりの
誰かのせいにし、他人の欠点を暴きたてます。
それによって、自分は罪悪感を感じなくてすむのです。
現実を否認し、まわりの人の苦しみはもちろん、自分の中にある苦しみさえも
認めません。
内面の葛藤やとるべき責任に対して対応することができず、
自分を省みることをしようとしないため、自分のちょっとした欠点にさえ
気づかないようにします。
これらは、加害者が自分の身を守るための方法なのです。

 3)共感できない

モラルハラスメントの加害者は、相手の感情を理解することができません。
誰かが苦しんでいるのを見ても同情することも共感することもないのです。
加害者自身、苦しみや悲しみという感情を持たないかのようであり、
そのような状況でも、相手への怒りのみが出てくるのです。

 4)羨望と憎しみ

加害者は、自分が持っていないもの、特に才能や地位、考えなどを
持っている人や、幸せそうにしている人に対して羨望を抱き、
それらのものを自分のものにしなければならないと感じます。
しかし、努力して同じものを手に入れようとはしません。
相手に取り入ったり、相手を利用し支配して奪おうとするのです。
そして、もし相手が抵抗し思い通りにならなければ、
加害者の心には憎しみがわき起こり、その結果、相手をおとしめ
破壊しようとするのです。
加害者にとっては、その相手と自分との差を埋めることが、
一番の目的なのですから。

3.妄想症的

モラルハラスメントの加害者にとって、まわりの人は、いつも自分をおとしめ、
攻撃を仕掛けようとしている人たちだというふうに感じられています。
自分が先に攻撃を仕掛け、支配し、常に勝っておかないと、相手の方から
攻撃を仕掛けられてくると思っているのです。
加害者にとって、人生とは悪意に満ちたとても困難なものなのです。

4.生育歴

加害者がこのような傾向をもつ原因は、まだ、はっきりとはわかっていません。
ただ、加害者の生育歴や過去の経験が、強い影響を与えているようです。
加害者は以前、何らかの形で虐待を学習したことがあり、しかもそれを、
虐待だったと認識していないことが多いのです。
それだからこそ、虐待を切り抜けてきたつらさを、虐待の形でしか
出せないのかもしれません。
そのうえ、自分がかつて受けた苦しみに対する復讐であり、
そういう人間関係しか知らないことの表れともとれる自分の虐待行為にも、
加害者自身はまったく気づいていません。
今までに対等な関係の経験がなく、今も安心して本音を語る場所を
持っていないであろう加害者にとっては、そのように自分の加害行為に
無自覚でいないと、生きてはいけないのかもしれません。

このように、加害者は以前の被害者であり、そしてその被害行為に対して、
ほとんどサポートを受けられない状況にいたのかもしれません。
その点ではその人は、他の人からのサポートを必要とする人なのです。
しかしそのサポートは、加害者から被害を受けている人ではない、
別の人がするべきです。
被害者は、加害者の最も近くにいて、しばしばまわりの人から、
その加害者をもっと理解しサポートをするよう言われることが多いものですが、
被害を受けながら、その加害者をサポートすることなどできるはずがありません。
そのようなことをしても、なおいっそうの被害を受けるだけなのです。
しかし、他の誰かがサポートをしようとしても、その人もまた、
次の被害者になる可能性が大きく、結局その加害者のサポートは、
非常に難しいことになります。

5.虐待が起きる条件

1.力関係

今の社会は、残念ながら、権力を持つ者がその力によって弱い者を
支配する社会です。
家庭や学校、地域、職場などで、私たちはそのことを日々学ばされ、
そのことを当然のことだと思いこまされてきました。
そのような社会的背景の中で、モラルハラスメントは起きています。

およそ被害者になる人は権力を持っていない場合が多く、そのように
あきらかに権力の差がある場合は、加害者はその権力を濫用します。

また、ほとんど権力の差がないところでは、加害者はまず相手をおとしめ、
力を奪い、力の差をつけたところで、支配・被支配の人間関係を
つくり出すのです。

そのうえ加害者は、その場のルールを自分に都合のいい
ダブル・スタンダードに作り上げます。
そのため、いったん両者の強者・弱者という人間関係ができあがると、
その関係はますます固定化してしまい、その権力関係の中で、
モラルハラスメントは続いていくのです。

2.密室性

虐待は、密室の中で行われます。
被害者は逃げることができず、外からはその被害が見えません。
加害者はそのような状況を選び、その状況を前提に
虐待を繰り返すのです。

3.虐待者のコンディション

このように加害者は、暴力をふるう対象や状況を選んでいます。
また、自分の調子で虐待をする余裕があるかどうかを
決めているようですし、攻撃の程度もその場に応じて変えてきます。

4.発火点

加害者の攻撃は、ほんの小さな失敗やトラブルから始まります。
被害者の些細なミスを諸悪の根元であるかのように扱い、
この現状をどう修復していくかということよりも、被害者が取り返しのつかない
ミスをしたのだということのみを主張します。
被害者は自分のミスという事実は否定できないため、なかなか反論が
できません。

また、虐待をすることが目的の加害者は、たとえ被害者には落ち度がなくても、
どんなところからでも虐待する理由を見つけ出します。
ときには、加害者自身が責任をとらなければならないようなことが
起きた場合でも、その責任を巧みに被害者に押しつけて、
攻撃を始めるのです。

5.臨界状況

いったん攻撃が始まると、加害者の怒りに火がついたように爆発し、
加害者自身、自分ではどうしようもない状況になります。
また、同程度の攻撃による加害者の満足感はすぐに弱まり、
攻撃の程度は拡大していきます。
そのようにして、攻撃はエスカレートしていくのです。

6.被害者の心理状態①

1.罪悪感

被害者は加害者から、「私には、すべてわかっている」という態度を
とられます。
加害者は正しく、しかも被害者を思いやっているのだという雰囲気を
作り上げられ、その場の判断の基準は加害者であるという状況が
巧みにできあがっていくのです。

そのような中、加害者から「おまえに責任がある」とか「あなたが悪い」と
責められると、被害者の側が罪悪感を感じてしまいます。
たとえ加害者が暴力をふるったのが明らかでも、暴力を引き起こすくらいの
加害者の怒りの原因は、自分のミスやいたらなさにあると被害者は考え、
自分を責めていくのです。

また、「あなたのためだから言うけど、あの人とつきあうのはよくない」
などと言われ、外部の人とつきあうことに対する罪悪感までも
感じさせられてしまいます。

2.混乱

 1)不安

暴力が行われている場のルールは、加害者が決めていますが、
そのルールには一貫性がなく、被害者には、次に何が起こるか
想像がつきません。
同じことをしても、加害者の気分によって違う意味に解釈され、
違う扱いを受けるのです。

しかも、自分に何か問題があるとほのめかされたとき、その具体的なことは
やりとりされないため、被害者は、加害者が何を感じ何を考えているのか
わからず、それを探ろうとします。

しかし、どんなに努力をしても、自分が間違っているとされていること以外は
何もわかりません。
被害者は具体的なことがわからないために不安になり、加害者と
自分自身の基準の差や、加害者自身のその時々の基準の変化に
混乱していきます。

 2)恐怖による緊張

しだいに被害者は、加害者の感情に振り回され、支配され、
反抗できなくなっていきます。

加害者の影を感じると緊張してしまい、自分の考えや思いが
正直に話せません。
暴力を受ける恐怖におびえ、暴力が自分の身に降りかかってきたことを
悲しみ、いつまでも加害者につかまえられている感覚は拭えず、
暗闇の中にいるようです。
自分の言動が、いつどんな理由で問題にされるのか予想がつかないため、
絶えず警戒し、緊張しています。

いったん自分の言動が問題にされたら、それを理由に半永久的な暴力が
続くため、加害者の言動に対して何か違和感があったとしても、
尋ねてみることもできません。
言うとしたら、緊張感の中で一大決心をし、小さく遠慮がちに
言ってみるのです。

被害者は、情緒的な安定のない状況に置かれていきます。

 3)身体症状

被害者は強いストレスを感じ、胃が痛くなったり、肩や背中、腰などが
痛くなったり、湿疹などが出てきたりすることもあります。
夜眠れなかったり、神経過敏になることもあります。

しかし、たとえそのような体の不調が表れても、虐待が原因だという
証拠がないため、加害者にその責任を迫ることなどできません。

それどころかその身体症状さえも、被害者の弱さや自己管理のなさとして
攻撃されるため、それを訴えることさえできません。

そうして被害者は、自分の身を守ることで精一杯になり、急速に
エネルギーを消耗していくのです。

3.過剰適応

被害者は、自分の感覚や価値観ではなく、加害者がどう思うかを
自分の言動の基準にし、そのうえで考えて考えて、何かを言ったりしたり
するようになります。
自分の身を守るためには、このような過剰適応をせざるを得ないのです。

また、被害者には、ときには加害者から認められるなどの些細な恩恵が
あることもあります。
そのため、加害者を加害者であると認識することが難しく、ときには
その暴力行為を、愛情として錯覚することさえあるのです。
このような状況のときには、被害者自身、自分でも暴力を受けていると
気づきにくいのです。

7.被害者の心理状態②

1.アリ地獄

被害者は、加害者から小さいことをこまごまと管理され、支配されます。
しかし、どんなに加害者の期待に添うように努力しても、加害者がその瞬間に
思い描いている完璧さと全く同じでなければ、攻撃されてしまうのです。
そのような完璧さなど実現不可能なことですので、何をしてもしなくても、
常に攻撃はやってくるということになります。

被害者には、加害者の怒りや恨みの力には限界などないように感じられます。
永遠に続く、地獄のような生活は、自分にトドメを刺すまで続けられるのだと
思い知らされてしまうのです。

逃げたいと思っても、逃げる行為自体までも攻撃されるため逃げられません。
被害者にとっては、八方ふさがりのアリ地獄状態なのです。

2.アイデンティティのゆらぎ

 1)孤立無援感

被害者は、加害者によって外部の人たちとの関係を厳しく制限され、
連絡を取ることを許されません。
連絡を取ったことがわかれば、それは加害者への裏切り行為として、
激しく攻撃されてしまうのです。

また、被害者にとって仲間であるはずの内部の人たちも、加害者によって
分断されており、被害者は孤立無援感を感じます。
被害者は、「こんな気持ちになっているのは自分だけだ」と思わされ、
「誰に話してもわかってもらえず、かえって自分の方が悪いとされる」
と感じています。

また、「相談したことはきっと加害者にわかり、そのことでまた新たな攻撃がくる」
と思うと、誰に話すこともできません。

加害者によって、被害者同士もつながることができないのです。

 2)自尊感情の破壊

被害者は、他者との関係を持てなくなり、自分自身の感覚も
信頼できなくなります。
そして、自分というものがゆらいできます。
ことあるごとに加害者から非難され、その存在さえも否定されるような
扱いを受け、自尊感情が破壊され続けているように感じます。
そのような状況の中では、自分自身を守っていく力さえも、見失ってしまいます。

 3)判断力の低下

そのようにして被害者は、考えることも理解することも、判断することも
難しくなっていきます。
極度の緊張と孤独感、自尊感情の低下という状況の中で、
本来は簡単に判断できるようなことさえ、できなくなってしまうのです。
そして、とても理不尽なことに、そのことがまた、加害者の新たな攻撃の
材料にされてしまうのです。

3.降伏

 1)無能感

被害者は、もう何もできなくなります。
何をしても加害者から常に軽蔑され続けると、本当に自分は何もできない、
軽蔑されてもしかたのない人間なのだと感じるようになってしまうのです。
その結果、ひどい扱いを受けていると感じたとしても、それを他の人に
伝えることができない状態に落ち込みます。

 2)無力感

常に変化する加害者の気分に逆らうと、大変なことになります。
そのような日常的な恐怖感の中で、被害者は力を奪われ、事態を
変化させようと自分で考えたり、抵抗したりすることができなくなります。
被害者には、加害者に従わないという選択は許されてはいないのです。
その結果、虐待を逃れるためには屈服するしかないと思ってしまいます。
他者の要求を断る力を奪われ、無力感、無気力を学習させられて
しまうのです。

 3)麻痺

虐待されることに慣れると、被害者は状況に無頓着になります。
でもそれは、その状況に適応しているというより、意識が麻痺して
しまったと表現した方がいいようです。
被害者は、無意識のうちに感覚や感情を意識から分離しているため、
今起きている出来事が他人事のように思えます。
感情的な苦しみに気づかないようにしたり、自分の感情を凍結保存し、
感じないようにしているのです。
被害者は、生きていくためには、このように麻痺せざるを得ないのです。

4.人間性の破壊

加害者による暴力や脅しは、被害者の人間性をつぶし、その人が
本来持っているやさしさや、健康な能力を発揮できなくさせます。
人が人らしく振る舞うことを困難にさせるのです。
そして、被害者は、加害者のもとで支配され、別の被害者への加害行為を
行ってしまうようにもなります。

そこが暴力の、恐ろしく、そして深刻な犯罪性なのです。

次回は、虐待からの脱出とその後のつらさについてまとめます。         
8.虐待からの脱出とその後のつらさ

1.脱出するきっかけ

 1)気づき

被害者は、加害者によって巧みに支配されており、自分のせいなのだと
罪悪感を感じていたり、混乱のせいで頭が真っ白になったりしています。
そのため、精神的な暴力をふるわれていても、それが暴力であるとは
なかなか気づきません。
その中では、被害者が自ら誰かに相談することも、誰かが介入してくれることも
稀なことかもしれません。

しかし、この虐待の構図から抜け出すには、何らかのことをきっかけに、
外部とのつながりを取り戻すことが不可欠なのです。
虐待が起きている場所とは違う価値観のものに触れる、その場に
属していない人と話をしてみるなどのことをきっかけに、今自分に
起きていることが当たり前のことなのではなく、虐待なのではないかと
疑ってみることが、まず脱出のための第一歩になります。

 2)エンパワーメント

被害者は、被害を受け続け、自尊感情を踏みにじられています。
その中で、この状況を耐え抜くことが自分のためになると感じている
ことがあります。

しかし、最悪の状態をできるだけ長く耐え抜くことは、賞賛されること
なのでしょうか。
加害者の苛立ちや不安は理解できるとしても、加害者からの虐待に
耐える必要はないはずです。

その気づきを得、虐待の構図から抜け出すためには、第三者からの
介入や通報、被害者本人から第三者への相談などを通して、被害者が
エンパワーメントされることが必要です。

その中から被害者は、自分の権利を感じ取り、自分の中の自尊感情や
生きていく力を信じることを少しずつ思い出していきます。
その結果、自分に起きていることが自分のいたらなさからくる当然の
結果なのではなく、加害者からの暴力であることを認識できるように
なるのです。

そして、その暴力を受けるいわれはないことを確信し、その虐待の
構図から脱出する準備を始めます。

2.脱出

 1)出口

状況を改善したり、虐待の構図からの出口を見つけるためには、
相手のモラルハラスメント的なやり方に反応しないことが必要です。
そうすれば、そのやり方は効力を失い、被害者を動揺させるという
加害者の目的は達成されません。

相手の挑発に乗らないこと、相手のあいまいなほのめかしによる攻撃に
対しては、その言葉の意味を具体的に確認し、ほのめかしの内容を
はっきりさせること、後からの攻撃も考え、何を言われたか書きとめておくこと、
手紙やFAXなどで文章が送られてきたときには、とっておくこと
などが有効です。
また、ふたりだけで直接話をしないこと、どうしても話をする必要が
あるときには、第三者を間に立てることなども大切になってきます。

しかし、このように被害者の態度が変わると、一時期、加害者の攻撃は
激しくなります。
それでも、自分の権利を守ることは当然であるとの確信を持ち、
加害者と対立することを恐れずにその場に臨むことで、被害者が
自分の中の力を思い出す助けにもなるでしょう。

 2)脱出

加害者の支配から抜け出すために一番いいのは、加害者から
離れることです。
しかし、すでに虐待の構図ができあがっている中、その場の権力の
中心である加害者から離れ、モラルハラスメントが行われている場から
抜け出すためには、実は莫大なエネルギーを必要とします。

そこで、そのエネルギーを保ち、心理的に加害者に抵抗するためには、
誰かの助けが必要になります。
その人は、加害者の影響を受けていない人で、まわりの人を支配コントロール
しようとしない、安心できる人である必要があります。
そのような人を見つけ、その人と話をし、エンパワーメントされながら
虐待の構図からの脱出を図るのです。

他者の絶対的な権威から解き放たれるパワーは、その後の被害者の
回復のために大切なものになるでしょう。

 3)加害者の怒りと憎しみ

被害者が脱出を図ろうとすると、加害者の心には、ますます被害者に対する
怒りと憎しみの感情がわき起こります。
加害者は、被害者が他の人とつながることや自分から離れていくことを
裏切りと取り、自分こそが被害者であると訴えるのです。
被害者のささやかな抵抗に激怒し、被害者が自己決定をすることを
許せません。
この段階になると、報復したいという気持ちが、加害者の心を支配して
しまうのです。

3.脱出後の心理

 1)抑うつ

虐待の構図から脱出した後、被害者にはいろいろな感情が表れてきます。

まず、自分がどれだけ深く傷ついていたかにようやく気づきます。
自分の心に、今まで思ってもみなかったほど多くの深い傷が
刻まれていることに気づくのです。
それらは、辛い状況を生き延びるために、無意識のうちに自分で心の奥に
押し込め、抑圧せざるを得なかったものなのでしょう。
それが、安心できる場を確保したために、ようやく少しずつ感じられるように
なったのです。

そして、加害者との闘いが終わった今、自分というものが土台から
すべて壊れてしまったかのような感覚にもなります。
今までのことを振り返ると、自分は加害者にだまされ、利用されていたのだと
感じます。

この時期は、そのことで加害者を責めるというより、自分自身が情けなくなり、
自責感を感じてしまいます。
また、加害者の影響がまだ強く残っている場合には、その場を離れて
しまったことに対する罪悪感をぬぐい去ることは難しいものです。

 2)加害者への怒り

被害者の気持ちは、加害者に今まで利用されていたということからくる
自分への自責感や抑うつ的な気持ちから、屈辱感、相手への怒りへと
変化していきます。
今まで失われていた自分の正当な権利を取り戻したいという気持ちになり、
相手を告発したくなったり、相手に謝罪を要求したいという気持ちが
わいてきます。

 3)PTSD

被害者は、加害者から離れ安全な場所にいても、またいつ攻撃される
かもしれないと常に緊張し、不安感や恐怖感が続いています。
なかなか眠れなかったり、眠りが浅かったり、小さな刺激にも
ひどく驚いたり、いらだったりします。

そのような状態はしばらくすると消えていきますが、その後も突然、
暴力を受けていたときの体験がよみがえり、そのときと同じような感情や
感覚になることがあります。
また、眠っているときに悪夢を見たり、夢の中で虐待されたりもします。
そのようにして被害者は、何度も恐怖や絶望感を味わわされてしまうのです。

また被害者は、モラルハラスメントが行われた状況を思い出さないように
するための無意識の心の働きによるさまざまな心理状態を体験することが
あります。
その場に関わりのある活動に対して、たとえそれが今までの自分にとって
大切なものであったとしても、興味を失ってしまうことがあります。
また、感情が麻痺したように何も感じない状態になることもあります。
加害者からの暴力が、自分の身に本当に起きたことのような気が
しなかったり、日常生活は送っていても機械的に続けているだけだったり、
日々のことがらを遠くから眺めているだけで、実際の感覚が乏しいような
感じがしたりもします。

しかし、これらの影響は、次第に小さくなっていきます。

4.脱出後の攻撃

 1)セカンドアビューズ

被害者は、虐待そのものもつらいのですが、加害者側に立ってしまう人や
傍観者的な立場の人からも傷つけられてしまい、辛い思いをします。

加害者の暴力は、まわりの人には見えにくく、また加害者は外に向けての
顔はいいために、虐待の場から離れた被害者がその被害を訴えても、
まわりの人はすぐには信じられません。
そのため、被害者の思い違いなのではないかとか、かえって被害者の方が
加害者なのではないかと見られてしまうことにもなるのです。

また、加害者は、第三者が介入することを嫌います。
一方被害者は、介入してほしいと思っています。
つまり、傍観者的な位置にいて何もしないでいることは、加害者側に
都合が良いことになってしまうのです。
ですから、傍観者的な立場でいられると、被害者にとっては、加害者側に
立たれたような気がするものです。

ただし、中立の立場での介入は、それとはまた違うでしょう。

 2)リモートコントロール

被害者が、加害者のコントロールから逃れようとして離れたときに、
加害者のリモートコントロールが始まります。
加害者は、被害者が離れた後も影響を及ぼせると思っており、
関わりを求めてくるのです。
モラルハラスメントは、言葉を使うためFAXや手紙ででも虐待でき、
ストーカー的な攻撃を続けられるのです。

しかし、被害者が逃げ延び、いきいきしていることがわかると、
加害者の中には怒りがわき起こってきます。
瀕死の重傷を負わせたはずなのにとの思いが、加害者の中にあるのかも
しれません。

そして、このリモートコントロールが有効にきかないことに加害者が気づくと、
自分の怒りを第三者に間接的に伝えることで、コントロールの領域を
広げようとします。
つまり、第三者を巻き込もうとするのです。
しかしそれは、被害者へのモラルハラスメント的な虐待という枠を
外れることであり、まわりの人の目にも見えるような行動が出始める
ことであり、そのためまわりの人の意識によっては、加害者の暴力が
白日の下にさらされることにもなるのです。

9.被害者の回復

1.回復

 1)回復のために

被害者の回復は、その本人ひとりで進むものではなく、まわりの助けが
必要です。
被害者の体験をまともに取り上げて聞いてくれ、人を支配コントロール
しようとしない安全な人とつながることがまず必要であり、そのような人と
話すことで少しずつ回復していくのです。
とくに、虐待のメカニズムを理解している人の中で話すと、より伝わりやすく、
話を整理しやすいようです。

回復の途中で、加害者と接触する可能性もあるでしょう。
そのとき、加害者はいつまでもコントロールしようとしてくるかもしれません。
そのようなときには、いかにコントロールされないようにするかが大切です。
つまり、リモートコントロールをかけてこようとする加害者に対して、
電波の届かない圏外にいるという立場をとるのです。
また、そのようにすることによって激怒した加害者本人から第三者へ、
その暴力行為が露呈することがありますが、それが被害者の回復の
助けにもなります。

 2)回復の過程

被害者は、自分が体験したことを安全な場所で話したり、文字にしたり、
テープに録音したりして、それを他の人と分かち合いながら、自分の身に
起きたことがモラルハラスメントという暴力であり、自分はその被害を
受けたのだということを認め、受け入れることが必要です。
その過程で、罪悪感から抜け出し、加害者への怒りの感情を認め、
表現していきます。
そしてその怒りの感情の奥にある悲しみや苦しみ、喪失感などに
向き合い、その感情を認め、充分に味わい、表現していくことによって、
被害を受けたというできごとを、文字通り過去のものにしていくのです。

また、今までは保障されていなかった、自分のことを自分で決められる
状況が被害者には必要です。
モラルハラスメントの場で言われてきた常識や理論を鵜呑みにせず、
まわりの人のとらえ方を聞いたり、自分の正直な気持ちと照らし
合わせたりしながら、少しずつ、自分なりの感覚や価値観を取り戻して
いきます。
そして、加害者の言葉や態度、自分のあり方に対する意味を、
加害者から押しつけられた物語ではなく、新しい自分自身の物語へと
書き換えていくのです。

そうして被害者は、モラルハラスメントによってばらばらにされた
自分の心や感覚をひとつにし、つながりを取り戻していきます。
そして、自尊心や自己肯定感を思い出し、自分自身を許し、他者との
新たな、対等な関係を作っていくのです。
また、それらの作業を通して、モラルハラスメントという虐待のメカニズムを
理解することは、今まで起きてきたできごとを整理する助けになりますし、
これからの人生において、新たな虐待を回避する助けにもなるでしょう。

そしてあるとき、今まで加害者に感じていた、自分が破壊され尽くして
しまうような超人的な力を、今や加害者が持ってはいないことに
気がつくのです。

ただし、この回復への作業は、コントロールが難しいくらいに感情が
高ぶってきたときには休憩をとることが必要です。
決してひとりではなく、誰か援助してくれる人と一緒に、少しずつ、
自分の感情や感覚を確かめながら、回復への作業を進めていってください。

2.援助者

 1)基本的な考え方

人には、安全や安心の欲求が満たされる必要があります。
たとえうっかりしていても愚かでも、今いる場所で安心して安全に暮らす
権利が誰にでもあるのです。
また、社会には、安全に暮らせる環境を作る義務があります。
そういう意味で、モラルハラスメントは、基本的な人権を脅かす
暴力なのです。

ときに被害者は、その人自身に何か問題があるかのように見えるときも
あります。
しかしそれは、暴力による被害者の葛藤や混乱がひどいためで、
被害を受けると誰でもそうなるのだということを知っておいてください。

 2)援助者として

今まで加害者によって不当に抑圧されていた被害者の回復のためには、
今までとは逆、つまり、誠実で対等な関わり方をされることが必要です。

援助者は、情報提供をしながらも、具体的な選択においては被害者自身の
意志を尊重することが大切です。
その中には、被害者が特別何もしないということも含まれます。
それも選択肢のひとつだと認めてください。
被害者のいたらないと見えるところを取り上げて、説教などをしたり、
援助者の正義感を押しつけて、プレッシャーをかけたりしないようにすることが
大切なのです。

また、被害者が自分自身情けないとか恥ずかしいとか言ったときには、
援助者は変に共感するのではなく、「情けなくて恥ずかしいのは、
あなたではなく加害者よ」とはっきり言う方が、真のサポートになるようです。

3.次世代への連鎖

被害者が次の加害者になるという、いわゆる次世代への連鎖が
心配されますが、それを断つためには、まず被害者自身が、自分の身に
起きたことが暴力であったと認識することが必要です。

それを認めず、あれは自分のためだったとか、教育や愛情があっての
ことだったとしか認識できないとき、同じ理由でその暴力を、教育や
愛情という名の下に伝えてしまう危険性があるのだと思います。

暴力を受けたと認めることはつらいことですが、それを認め、怒り、嘆き、
そして未来へ向けて進むことができれば、次の世代を虐待する理由など
なくなるのです。
そのような回復の過程の中で、自分の弱さを認めることができ、その弱さを
ダメなものだと評価しないでいられる強さを自分の中に感じ取れることこそが、
次世代への連鎖を断つ鍵なのだと思います。

10.暴力のない社会をつくるために

1.暴力のない社会とは

そもそも、暴力とは何なのでしょう。
暴力とは、何らかの権力を持つ者から持たない者へ、一方的に行われる
理不尽な人権侵害であると、わたしたちは考えています。
その中には、身体的なものだけではなく、モラルハラスメントを含む
精神的なものも含みます。
暴力とは、権力を持つ者が持たない者を抑圧し、支配コントロール
するための権力の濫用なのです。

暴力の中でも、見知らぬ他人からの身体的な暴力は、以前からよく
知られていました。
そして最近ようやく、児童虐待やドメスティックバイオレンスが広く
知られるようになり、親子や夫婦など、親しい間の暴力も暴力であると
認められるようになってきました。
また、ストーカーという名前が知られることによって、精神的なものも
被害だと認められるようにはなってきました。

しかし、モラルハラスメントのような、指導、教育、愛情などという名の下に
行われる精神的な暴力は、まだ、なかなか理解されないところがあります。
モラルハラスメントなどの精神的な暴力も含めて、すべての暴力が
暴力であると、きちんと認められることが大切なことなのだと、わたしたちは
考えています。

では、暴力のない社会とは、どういう社会なのでしょう。
今すぐ、モラルハラスメントを含む暴力すべてをなくすことは、
難しいことなのかもしれません。
そのような社会の中にいて、今、必要なことは、モラルハラスメントなどの
暴力が起きたときに、それを暴力であるとわかる視点です。

暴力をすべてなくすことは難しいにしても、暴力をふるわれたり、暴力を見聞き
したりしたときに、自分自身でもまわりの人にもそれが暴力だとわかれば、
次にどうするか、何ができるかを考えることができるのです。
暴力をふるわれたときに暴力だとまわりに言うことができ、まわりは
それをきちんと聞き届ける、そのような社会が望まれます。
そして、そのような社会であってこそ、暴力の構図から抜け出す方法を探し、
自分の人生を生きるという選択肢を選ぶ自由を得られるのではないでしょうか。

2.環境整備

 1)社会的なシステム

モラルハラスメントが起きたときに必要なことは、それを早期に発見し、
それが加害者の加害行為であることをきちんと見極め、終わらせ、
被害者を守り回復を助けるような手段をとれることです。
そのためには、職場の規則の中に、モラルハラスメントに対応できる条項を
設けたり、モラルハラスメントに対応できる法律を整備したりすることが
必要だと思われます。

さらに、今後、新しい被害を生まないための環境作りも必要です。
職場の中での人権意識を高め、良好な人間関係を保てるような職場環境を
整えることは、モラルハラスメントを防ぐだけではなく、そのことによって、
結果的には企業としての実績も上げられると思われます。
職場や社会は、そのような環境を整えることに努力する必要があるでしょう。

 2)わたしたちにできること

今、わたしたちにできることは何でしょう。

まず、モラルハラスメントが起きたときの早期発見と、被害者をまわりの人が
さらに傷つけてしまう二次被害を防ぐために、起きていることが
モラルハラスメントだと見極める視点を育てることが大切です。
そのためには、モラル・ハラスメントのことを、わたしたちひとりひとりが
正しく理解する必要がありますし、そのために、なるべく広く、
モラルハラスメントの存在を知らせる必要があります。

では、新たなモラルハラスメントを生まないためには、どうしたら
いいのでしょう。
モラルハラスメントは、コミュニケーションが成り立たない状況で起こります。
モラルハラスメントが、コミュニケーションを成り立たなくさせるともいえます。
ですから、人権意識を基本にした真のコミュニケーションをうち立て、
保つ必要があります。

そのために、アサーションの考え方や方法、人権感覚などを学ぶことは
役に立つと思います。
また、閉塞された密室状態で起こるため、常に外部の人たちとつながりを保ち、
風通しをよくしておくことも大切です。
また、何より、小さな頃から家庭の中で、また学校で、年齢や性別に関係なく
お互いの存在を尊重し合うという、真に人として対等な人間関係を学ぶことが
大切でしょう。
そのためには、実際にまわりのおとなたちが、子どもたちとも、そして
他のおとなたちとも、お互いを尊重し合いながら関係を結んでいくことが
大切なのです。
それによって、今現在の、そして未来のモラルハラスメントを防ぐ助けに
なるでしょう。

3.加害者の更生と回復

 1)暴力であるとの認知

モラルハラスメントが起きたとき、加害者自身、自分の行為が暴力であると
なかなか認めません。
しかもまわりの人たちも、気づかない場合が多いようです。
しかし、もし暴力であるとまわりが認知したとしても、今の現状として、
被害にあった人がその場所を離れ、行動を抑制されています。
そもそも、わたしたちには、今いるその場所で、安心して安全に暮らす
権利があるはずです。
行動を抑制されるべきは、その権利を侵害した加害者の側のはずです。
モラルハラスメントに限らず、暴力に関しては、加害者が全面的に責任を
負うべきだと考えます。

そしてそのことは、加害者自身が自分の行為を暴力であると認知する
助けにもなるのだと思います。
まず、自分の行為が暴力であるとわかり、それをきちんと認めることが、
加害者の更生と、加害者の過去における被害体験からの回復への
スタートになるのだと思います。
そしてそれは、新たな加害行為を防ぐことにもなるでしょう。

 2)過去の被害からの回復

加害者は、過去に何らかの虐待の被害を受け、そのときに適切なサポートを
受けられず、そこからの回復ができないままでいることが多いようです。
ですから、もし、その過去の被害からの回復がはかられ、加害者が、
モラルハラスメントを行ってしまうような、自分自身のこだわりに気づくことが
できれば、新たな加害行為は防げるようになるのかもしれません。
        
おわりに

ここで、モラルハラスメントが進んでいく流れを、もう一度説明しておきましょう。

まず最初に、「支配の段階」があります。
それは、加害者が被害者を、なんらかの方法で惹きつけるところから
始まります。
そして少しずつ影響を与え、被害者の考えや行動をコントロールしていくのです。
その際、モラルハラスメントに特有の、ちょっとした嫌味や皮肉、ほのめかし、
相手を拒否するような口調や態度など、被害者を支配下に置くための攻撃が
使われます。
そのとき被害者は、自分のせいだと思ってしまったり、混乱して何も
考えられなくなったりし、次第に、相手の支配に組みこまれていくのです。

しかし、被害者が自分の尊厳を守ろうとして加害者に抵抗すると、加害者は
憎しみを感じます。
そしてそこから、はっきりと精神的な暴力をふるい始める「暴力の段階」に
入るのです。
中傷や罵倒などの言葉による冷たい暴力は、相手の罪悪感を刺激し、
相手に責任を押しつけるような巧みなやり方でふるわれます。
このときには、被害者の方もすでに精神的に支配されている場合が多く、
また、相手にそれほどの悪意があるとの想像もできにくいため、それが
暴力であると認識することが難しいのです。

その結果、被害者はひとりで責任を感じ、苦しんでいきます。
もし、それに耐えられなくなったり暴力だと気づいたりした被害者が、
加害者から離れようとすると、加害者は憎しみをあらわにし、今度は
明らかな悪意をもって、なお一層、被害者を攻撃していくのです。

これは、モラルハラスメントの被害を受けた人には、よくわかる話だと思います。
しかし、その他の人には、わかりにくいことかもしれません。
それでも、わたしたちの実感として、このようなモラルハラスメントは、
職場や学校、家庭の中などいたるところで確実に存在します。

これらの見えにくい暴力が存在すること、そしてそれは、被害者にとって
とてもつらく悔しい状況であること、そしてそれらの暴力は、わたしたちの意識の
持ち方によって気づくことができることなどを、より多くの人たちに理解して
いただきたいと切に願っています。

そして、わたしたちひとりひとりが、モラルハラスメントを少しでもなくす方向に
考え行動していくことが、すべての人の人権を尊重し、真に対等な人間関係を
つくっていく一助になるのだと感じています。

そもそもわたしたちには、その性別、年齢、人種、職業、能力などに
何ら関係なく等しくもっている、さまざまな権利があります。
その中には、「自分の感情と考えをもち、それを表現する権利」や、
「自分自身でいる権利」「尊敬をもって扱われる権利」
「自分のことを自分で決める権利」「恐怖を感じなくてすむ権利」
「不完全である権利」なども含まれています。

しかしモラルハラスメントの行われる場所では、それらの多くの権利が
侵害されてしまうのです。

じっくりと考えてみると、夫婦や親子の関係、教師と生徒、先輩と後輩、
上司と部下など、さまざまな関係の中で、これらの権利をないものとしたり
されたりしていることに気づかれると思います。
その中で、常に片方がもう片方を支配し、コントロールする関係が固定化
されてしまうと、さまざまな暴力が起きてしまいます。

その構図の中で、モラルハラスメントだけではなく、
ドメスティックバイオレンスやセクシュアルハラスメント、性暴力、子どもへの
虐待、職場でのいじめなど、さまざまな暴力や虐待が行われているのです。

もし、日常生活の中で、「うまく言えないけど、なんだか圧迫感を感じる」とか、
「いつもある人の顔色をうかがっている」「何か問題が起きると、自分が悪いような
気になる」「自分が価値のない、つまらない人間のように思えてしまう」などと
感じることがあるとしたら、あなたにそのように感じさせる相手の言動は
暴力なのかもしれません。

まずあなた自身が、あなたの感情や感覚を信頼してあげてください。
加害者は、あなたの落ち度を責めてくるかもしれません。
でも、自分が完璧で何の落ち度もなかったと証明しなければ、暴力を
ふるわれたと言えないなどということはありません。

あなたがもし、モラルハラスメントの被害を受けているとしたら、自分の人生が、
その基礎から崩れ去ってしまったかのような感覚になっているかもしれません。
それでも、あなたの存在を尊重し、等身大のあなたでいてだいじょうぶだという
安心感を与えてくれる人たちは、必ず存在します。
その人たちとつながっていくことで、あなたはしだいにまわりの人たちとの
関係を取り戻していき、そして自分自身への信頼感も取り戻していけるのだと、
わたしたちは信じます。

今は加害者の影響力を、自分を必ず脅かす魔術的な力のように感じられるかも
しれません。
それでも次第に、加害者の言葉に重きを置かないでいられるようになり、
そして、相手には自分を本当に支配する力などないのだということが
実感できるのだと思います。

自分を愛すること、または自分を愛することができると信じることで、
あなたが自分の中のパワーを実感できるようになることを祈っています。

 

 



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大掃除で各種洗剤

"大掃除で各種洗剤を試している
重曹なんかは安くて使いやすい
オレンジが主成分というやつも使いやすい

台所のタイマーがぴかぴかになった
電子レンジの操作ボードもぴかぴか
テレビリモコンも新品同様

換気扇のフードやエアコンのフィルターは夏のほうが掃除しやすい
温度が高い分、油も除去しやすいのだろう

それにしても東京はほこりが積もっていても黒くなっていて
これはたぶん排気ガスなのだろう

窓は本気で拭いたことはないが
拭いた人によると部屋の内側の窓でもかなり黒くなるとのことだった
"

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「私は最後まで神の存在を信じることができなかった。」

マザー・テレサが亡くなった後、その日記に、「私は最後まで神の存在を信じることができなかった。」と書いてあった、という話を聞いたことがあります。私はそれを聞いた時 に、ああ、マザー・テレサという人は本当に純粋で素晴らしい人であったのだな、と思いました。クリスチャンで平気で神を信じている、という人は信用できないか、信仰が浅い 人です。

 という話

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